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母は売女であった。父は知らない。本人ですら憶えていないだろう。
物心ついた頃は既に渡り鳥のような生活であった。止まり木は男達のベッド。数日同じ家に居座ることもあれば、一夜だけの縁もあった。時には母だけでなく自分も相手をすることがあった。そういう趣味が、この世にはあるらしい。

ある日、母に馴染みの客が出来た。母は彼を気に入ったのか、連日男の元へ自分を連れて泊り込んだ。自分は屋根のあるところで眠れればどうでもよかった。だがある日、眠りこけた自分の耳元で、母の甘ったるい声が響いた。
「バイバイ、モモ。あんたのママやれて、楽しかったわ」

翌朝、母の姿はどこにもなかった。階下では母の馴染みの客が、素っ頓狂な悲鳴を上げていた。
「あのアバズレやりやがったな…どうすんだよこのガキ」
ボサボサの頭を掻きながら彼が手にする書置きは、何となくその内容が想像できた。
だらしない無精髭を指でいじりながら、渋く顔を歪める男は、やがて思案することが億劫になったのか、すとんと間抜けな表情に落ち着いた。
「…まぁいいか。おいガキ、お前取り合えず、朝飯作れっか?」
「…卵ある?」
幸運なことに、置いていかれた先の母親の客は、どうしようもない物臭な医者であった。



養父となったサザンはトウカトウカの片隅に暮らす街医者であった。
よく治療費を踏み倒されたり薬を騙し取られたりと、つまらない損をしていたが、彼は大抵を「…まぁいいか」の一言で片付けた。寛容というより、単純に面倒臭がりなのだ。
そのトウカトウカは、アビ国内最大の阿片窟を所有する。ある日、サザンの元に重篤な麻薬中毒者が運び込まれた。

「ったく、面倒くせえのがきちまったなぜ。おいモモ、コイツちょっと見ててくれや。薬取ってくらぁ」
こういう奴ぁ絶対治療費なんざ持ってねえのによ。悪態をつくサザンの指示に従い患者に付き添う。
死んだように四肢を投げ出していた男は、何か早口に寝言を呟き出したと思った瞬間、突然暴れだした。幻覚症状か。慌てて押さえつけようと近寄った刹那、男は隠し持っていたナイフを振りかざした。
あっと息を呑んだ、その間一髪。戻ってきたサザンに庇われた。自分を抱きこみ、ざっくりと裂けた養父の腕。

「痛えなバカヤロウ!」患者を薬瓶で殴り倒し昏倒させるサザン。
その深い裂傷と、溢れる鮮血に血の気が引く。ガクガクと震えだした自分に、サザンはとんでもない指示を出した。
「おいガキ、てめえがこの傷縫ってみろや。俺の仕事を間近で見てきたんだ、その位出来るだろ?やってみせろ」
出来るわけがない――思わず後ずさる自分に、しかしサザンの眼差しは有無を言わせない。無理だよそんなこと、そう呟こうとした喉が、思わず針はどこだと呟かされてしまうほどに。
後にドクターと呼ばれる男が、初めて人を治療したのが、この時だった。

人を治療することの偉大さを知ったモモは、この時から改めてサザンに医術を習い、助手として働くことになった。ぶっきらぼうであるが、サザンは腕の立つ名医であった。
やがて医術のいろはを飲み込んだ頃、ある日サザンは急に、メスを落とす。
「どうしたの?」
モモの問いにサザンは。
「腕が動かねえ」

白蝋病であった。
かつての傷が原因であったらしく、蝋化は腕から始まったのだ。ショックを受けるモモ。自分がしっかり消毒をしていなかったから?しかしサザンは言う。この病気は詳しいことが解明されてない。お前の治療がどうという話じゃない。そしてサザンは淡々と、白蝋病について語りだす。

耳を塞ぎたくなるような悲惨な病状に、思わずモモは絶叫する「どうしてそんな他人事のように!あんた怖くないのか!」サザンは静かに遮る。
「どんな病を前にしても平静でいる。それが医者だ」
そしてお前もそうであれ、そして感謝するんだな。未知の病の被験者が、すぐ目の前にいるんだ。そう養父は笑った。

それからは闘病の日々であった。モモは自分と養父の生活を支える為、そして養父の病気を治療するため奮闘するが、この街で少年一人に出来ることなど限られている。白蝋病は進行の遅い病気であるが、それに伴う苦痛は激しい。ある日、家に帰ったモモはサザンを呼ぶ。返事がない。嫌な予感に寝室へ走る。

ドアノブに吊られたシーツに首をぶら下げて、サザンは既に事切れていた。白蝋病の患者は苦痛に耐え切れず、自害することが多いと聞いていた。聞いていたが、まさかこんな。あんた言っただろ、医者は、どんな病を前にしても平静でいろって。
呆然と歩み寄るモモの足が、一枚の紙を踏む。乱雑に書かれた文字は、酷く読み辛かったが確かに養父の字であった。「俺の死体は、好きに使え」

今は殆ど使われていない手術台は、養父の遺体を置くと、薄く積まれた埃が一斉に舞った。短く手を合わせて、メスを手に取る。まだ暖かい肉は、思った以上に張りがあり、刃を滑らすと切断面から鮮血が溢れ出た。顔に飛び散る鮮血を、拭うことなく解剖を続ける。

筋肉、骨格、血管や神経の至る表皮、それらを全て観察しスケッチし、次は更に刃を深く入れ内臓を引っ張り出した。腹圧で位置が乱れないよう、慎重に指を差し入れる。
思った以上の重労働で、力のいる作業であった。滴る汗が目に入って痛むが、殆ど瞬きもせずに解体される養父の姿を、目に脳に焼き付けた。

一日、いや二日以上はかかっただろう。寝食も忘れて作業に没頭した。徐々に人の姿を忘れさせる、養父であった肉塊を前に、淡々と生命の構造を暴いてゆく。それはまるで何らかの儀式のようでもあり、だがそのような神聖さを許さない生々しさを伴っていた。

最後に心臓へ手を伸ばそうとした時、入り口から悲鳴が聞こえた。振り向けば馴染みの患者が、蒼白の表情で腰を抜かしていた。
薬を貰いにでも来たのだろうか。鍵はかけていた筈なのにとぼんやり見つめる。彼は泡でも吹きそうな顔で、慌てて逃げ出していった。人殺し、とも聞こえた気がする。改めてこの場の状況を見返せば、その通りだろう。薄暗い部屋にはバラバラに解体された街医者、血に塗れたその養い子。

ごめんね、墓は作ってやられそうにない。最後まで何一つ、孝行はしてやれなかったよ。
養父であった肉塊に一礼すると、医療用具、医術本、金目のもの手当たり次第に鞄に詰め込む。騒ぎを聞きつけて、警兵どもがやってくる前に、暗い夜の街へと飛び出した。雨が降っていた。アビの雨は有害だが、生憎マスクを手に取る時間はなかった。

走って、走って、脇目も振らず遠くまで走って、どれくらい走ったかは分からない。ふいに体中の力が抜けて、泥濘の中に倒れこんだ。血と雨と泥と、無茶苦茶に汚れながら、呆けて夜空を眺める。目に何度も雨が入って、沁みるのに、閉じれない。
目を見開いたまま、次第に笑い声が湧き上がった。指一本動かせないのに、横隔膜は痙攣して笑い声を捻り出す。腹腔が痛んで、黙っていたいのに、止まらない。

養父として、慕っていた。
医者として、尊敬していた。
一人の人間として、愛していた。
さようなら、忘れない、貴方に貰ったものは全て。

笑い声と雨音が交じり合って、次第にそれは泣き声に変わっていった。養父が死んで、初めて泣いた。悲しいのか悔しいのか寂しいのか、それが何であるのか分からない。母に置いて行かれた日にも感じなかった虚無感が、全身に重く覆い被さって、泥濘の底深くに引き摺り込まれてゆくような気がした。

それを人は孤独と呼ぶ。初めてその日、彼はひとりとなったのだ。



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無題
うをををををw!!!!!!!!!!
ドクター、幼名をモモというのかぁぁ・・・!!
そして、バイの気は幼少期の経験によるものと思われ・・・うをを!

なんてこった…義父ちゃん、白蝋病だったんか・・・(⊃Д`)°。°
解剖を行ったのは、スケッチをもとに人体の構造を知るためだったの??
それとも白蝋病治療を研究するためだったの??
何にせよ、父・・・墓どころか、テーブルの上にボロボロのままだもんな…ドクターの辛さ、想像を絶するぜ…

でも、研究のための解剖だったとして、ドクターの日記をみる限りでは未だに治療の手掛かりは見つかっていないってことなんだよね(;―;)

ドクターの幼少期を挟んだということは、
三人がどのようにして出会うのか(恐らくハジと白+ドクターなのだと思うが!?)も今の小説に出てくるのかな!!
うほほ!
楽しみじゃけんね!!(*´∀`*)

あと・・・黄兎、どこに!?
なんか、もしかしてあの子かー!!!?と思って、予想していた記事見たらチュチュだった(笑)

降参だよ姉さん・・・どこに出現していたんだ!?
ポポー 2012/07/31(Tue)01:02:01 編集
無題
そうなんだぁああああ!!!モモちゃんだよ!ママのセンスェ…。ドクターも流石に名乗れなくて改名したのだろうか…。
あああ幼少時のただれた生活が後世の被害者を生んだ!!!ドクター「いいんですよ今が楽しいから^ー^☆」

そうなんだ…ドクターは愛する者が蝋燭になってしまう呪いでも掛けられているのだろうか…ガクガク
解剖の理由は両方だけど、後者が大きいかな。この時のメモやスケッチは、正規の教育を受けていないドクターの基礎となったし、後に白瀧の白蝋病について研究する時も大いに役立った。0からのスタートじゃない、っていうところが、ドクターには希望だったね。結果、絶望まで叩き落されたけど。でもそこで役立ったのが、サザンの解体メモ。蝋化の状態や筋組織への影響を把握して、結果ドクターは白瀧自身を魔法で動かすことに成功する(実は白瀧の全身包帯はドクターの魔法が浸透しやすいようにしたもの)
ただ(これは後で描くけど)弊害も色々あるので、二人の闘病生活はまだまだ続いてゆくんだ…ドクター今度は病気に勝てるか!?

おおお流石プーサン読みが深いぜ…!ただ描きたかったから描いただなんて言えなくなっちゃったじゃないか///
プーサンの予想(ハジ&白瀧とドク)大当たり!!!でも三人が出会うのは、結構成長してからなんだ。またいつかこれも描くよ~!描きたいことがいっぱいだおわぁ。

見つけられないだとwwwwwチュチュよりちょっと前の記事だったwww7/8の記事だwww
だが漫画と顔が違って見つけられなかった線も否めない…!精進するよ姉はスマヌ!!!
あと、そろそろ人物多くなってしまったので一覧作ったよー。これで記事の捜索などという手間を掛けさせないで済む…のか?!(人物の記述が思ったより多くなり呆然としながら)
M28星雲 2012/07/31(Tue)07:08:43 編集
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