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「それでねぇ、赤鬼は、とても悲しくて泣いたんだよ」
「どうして泣くんだ。村人の誤解も解けて、これからは平穏に暮せるんだろ」
「もう二度と友達に逢えないこと、知っていたからだよ」
プーサンコメにみなぎり過ぎて、姉の親友コンビ萌えはんぱない件。
幼少期のマエストロが、人肌に触れられない所為で自分の気持ちを上手く伝えられない子に育ってしまったとかうおお。児童心理学ぱねぇよ…。
それが転じて、あんまり情感というものを深く理解できない子だったのを、府長が色々教えてあげれば良い。府長も府長で自分の感情のリハビリというか、唯一心というものに向き合える時間だったらいい。
マエストロと府長は共通するところも多いが、正反対な部分も多い。
マエストロはポーカーフェイスだが、心の底は結構激情型。一旦火がつくととても熱い。
府長はいつもニコニコだが、心の一番深いところが静まりきってる。とても冷たい澱がある。
だから府長はマエストロの傍にいると、心の澱が溶ける心地がして気持ち良い。でもそのマエストロの心に初めて火と灯したのは、きっと府長だった。
…プーサン!姉は幸せだ!!!(?)
因みに。この時の府長の言葉の意味を、マエストロが痛感するのはこれから8年後のこと。
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1
赤子の泣き声と、産婆の悲鳴が響き渡るその部屋で、彼女の意識を捉えて離さないのは、赤子を包むように覆う水の幕であった。
薄い絹のカーテンのように揺蕩いながら、我が子と自分を隔てる水幕。
腰を抜かした産婆の叫びにも気を留めず、ゆっくりと手を伸ばすと、赤子に触れる寸前で、水幕は急に厚さを増し、自分の指先を弾いた。
愕然と感じる冷たい温度、私はこれを何か知っている。忘れもしない、全身を険しく浸した、あの冷たい川の温度。
―――ああ、この子は、私が何をしたかを知っている―――
赤子の泣き声と、産婆の悲鳴が響き渡るその部屋で、最後に響いたのは、彼女の絶叫であった。
2
「アルフィーネ、こちらへおいで。母様が絵本を読んであげましょう…」
我が子を留めようとした指先は、固い水の幕に触れ、その先に進めない。
もう五つにもなる一人息子は、母親の方を一瞥すると、その声が聞こえなかったように一人興じていたパズルへ目を戻した。
濡れた指先をハンカチで拭いながら、母親は深く嘆息した。
私は生まれてこの方、一度もこの子に触れられたことがない――。
特に最近は、かつては水越しとはいえ触れることを許されていた乳母すら、彼に近寄ることが出来なくなっていた。水幕は、彼が成長するにつれ、一層排他的になってゆく。
それが息子の意志か無意識かは分からない。彼は自身の特異を、特別気にも留めていないようだった。それどころか、時折一人水幕に向かって微笑むことすらある。水面に反射し、歪む世界が面白いのかもしれない。私は息子のその姿を見るたび、胃の腑に重いしこりが生じるのを感じる。
私はいつになったら、この子の世界に招かれるのだろう――。
夫は言う。フォンダリカ家は代々水源守護を司る家だ。あの子は、水神の加護を得て産まれたこどもなのだ――。
まるで自分を慰めるような言葉も、かえって自分には呵責の念を思わせるだけ。
この子は知っているのだ。私が、この子を水に殺めようとしたことを。流れてしまえ、流れてしまえ、確かにそう願った。まるでその姿は、私を罰しているようだ。愚かな人殺しを、その身を以って諌めているように。
私はいつになったら、この子に許してもらえるのだろう――。
水幕はドレープのよう、息子を隠しては、表して、また覆ってしまう。幾度も、幾度も。
3
彼女は日に日に、罪悪感と呵責の念に苛まれていった。
そしてある日、彼女は遂に耐え切れなくなった。
彼女は無理矢理息子を抱き締めようとした。自分の腹より出でてから、一度も触れたことのない我が子をその腕に留めようとした。
だが驚いたよう目を見開いた息子の顔を見たのが最後、彼女は全身を猛狂う水幕に飲まれた。
まるで瀑布のような水の勢いを感じながら、その絶対的な拒絶に、彼女に残っていた最後の理性が完膚なきまでに叩きのめされた。間一髪、彼女の夫が彼女を水幕から引き剥がした時、彼女は大きく目を見開いて、怯えた表情の息子を捉えた。
「ああ、私は決して、許されることがないというのね…!!!」
仰け反って、引き攣るような声で笑い出す妻を抱きかかえ、夫は無情なその光景に絶句し、やがてたまらずに息子に苦渋の声をぶつけた。
「お前は…お前は実の母親を…!母さんがどれだけ、お前を愛していたことか…!」
息子は呆然と両親を見つめながら、一言も発することなく、響き渡る母親の笑い声を全身に打ち付けられていた。
4
縁戚の家に、息子が預けられることとなったのは、それから間も無くのことであった。
名目は、自分がこれから通う学校に最寄の街であるから。実際の理由は、父も母も、息子と距離を置きたくなったからなのだろう。
特に母とは、完全に隔離すべきであったはずだ。
あの一件の後、彼女は完全に気が触れた。
最後まで愛せなかった夫。最後まで、愛させてくれなかった息子。身も世も縋るものがなくなった彼女は、今日もベッドの上で人形に頬擦りする。
「可愛いアルフィーネ…私のいとしいぼうや。お前がいてくれるなら、母様は何もいらないわ…」
虚ろな目の母親をドア越しに見つめ、息子は出立の挨拶を述べた。しかし息子の声は、母親の耳に届くことはなかった。
遠い街へと向かう馬車に揺られながら、幼い少年は手にした本を開くでもなく、ただぼんやりと夜の荒野を眺めた。
空に瞬く星は少ないのに、やけに視界が眩い。それが自分を覆う水幕に、彼方此方の光が反射している所為だと気付き、苦笑する。
そして思い出す。幼き頃の日々。水鏡にわざと母親を映して、それを見つめていたことを。
母は自分を呼べど、表情はいつも固かった。だが水面に映る母の顔は歪んでいて、それがどこか微笑んでいるように見えた。つられて笑っていたあの頃の児戯を思うと、自分の口元も笑みに歪んだ。
同時に落ちた一筋の雫が、幾らかの星の光に瞬きながら、音も無く水幕に落ちて混ざって
それはもう、二度と見つかることはない。
5
水幕は自分の意志とは関係無しに、他者を隔別し、或いは攻撃に及ぶこともあった。
それゆえ彼は、新しい街に行けども、必要以上に他者と交流することは無かった。周囲の人間も、彼の特異な体質を畏怖し、好んで近寄ろうとする者は殆どいなかった。
そんなある日、少年は河原で群れる同年代の子供達を見つける。
数人のこどもが何かに石を放ったり、手にした帽子などを川に投げ込んだりしている。
やがて子供達は笑いながらその場を後にし、少し離れたところに蹲る少年の姿が残された。
もう初夏に差し掛かっているというのにたっぷりとマフラーを巻き、長袖の服を着た、細身の少年。
その頭に、二本の角のようなものがあるのを認め、彼が誰であるのか理解した。最近起きた自然災害で壊滅した近街の、唯一の生き残りがこの街の大貴族に面倒を見てもらっていると聞く。それが、彼だ。
少年は川に放り込まれた帽子を、ぼんやり眺めている。浅瀬に引っかかっているものの、すぐに取れる位置ではない。
虐められていたのか。くだらないことをする連中だ。嘆息しながら、彼は水幕に指示し、帽子の元へと向かわせた。この程度なら、幾らか操れるようになっていたのだ。
角の少年は驚いたように目を丸め、水に差し出された帽子を受け取った。振り向いた彼と目が合う。ぼさぼさの深緑の髪から覗く、赤茶けた瞳。
その瞳が人懐こそうに、幼く微笑む。
「その水、凄いねぇ。かっこいいねぇ」
アルフィーネ=フォンダリカ。ヴェルヒフ=ラジアータ。
後に親友となる二人の、初めての出逢いである。
途中で漫画→小説に切り替えた…過去編ばっかじゃ本編にいけねえよ!
というわけでマエストロの過去話。久々の樹海の糸が沁みたんだ…。
二十年程前、猟奇的な事件がアビを震撼させた。
連続殺人事件、対象は名のある貴族、死因は決まって毒殺。その死体の凄惨さたるや、筆舌には尽くせぬとのこと。
唯一生き残った、幸運な馬車乗りの証言が以下である。
「ええ、旦那様を晩餐会からお送りしていた夜でした。物騒な昨今でしたのでね、傭兵なども十人ばかし、仰々しく馬車を囲んでいたものでした。
すると、四辻の真ん中にひっそりと立つ影がありました。黒尽くめの男です。熱帯夜だというのに、帽子にコート、マフラーまで巻いている装いでした。
『こんばんわ、月のきれいな、夜ですね』そう、そのようなことを言ったのです。憶えておりますよ、空には月などなかったのに!
おいお前、そこをどけ、誰の道を塞いでいると思っていると、傭兵隊長が刀を抜きました。彼の部下が、男の胸倉を掴んだその時です。男の被っていた目深帽子がぽとりと落ちました。我々は、眼を疑ったものです。男の頭には、禍々しい二本の角が生えていたのですから!
その刹那、傭兵隊長は何か合図を出して、一斉に部下を男に向かわせました。しかしその殆どは男に辿り着く前に、地面から湧き上がってきた、黒い泥に呑まれました。体が捻じ曲がり、血が噴出しました。凄まじい悲鳴でした。
後衛の者達が乱射する銃を、男は避けませんでした。先程の泥が男を囲んで、弾は一つも届かなかったのですが、隊長殿はその死角から、思い切り刀を振りかぶり男に斬りつけました。男の肩が浅く切られ、隊長殿の顔に返り血が飛びました。
すると、隊長殿は途端苦しみだしました。泥に飲み込まれた傭兵同様、体が捻れ、いえそれ以上に悲惨でした。顔が腫れ上がり、コブが幾つも出来て…ああ思い出すも恐ろしい!私がすっかり腰を抜かしているところ、背後で馬車の扉が開きました。旦那様が、青白い顔で逃げようとするのが見えましたが、私は最早一歩も動けませんでした。
視線を戻すと、男は最後に残った傭兵に、覆い被さっておりました。何をしているか、影になって見えませんでしたが、傭兵は激しくのた打ち回った後、大量の血反吐を噴いて、そのまま動かなくなりました。
男はゆらりと、私のすぐ横を走り抜けてゆきました。私の心臓がこの時止まらなかったのは奇跡です。
男は旦那様の腕を取り、自分の方へ向けました。旦那様は蒼白の表情でしたが、毅然と大声を張り上げました――この狼藉者!私を誰と心得ている!王家の覚えもめでたきルイデリック家が当主――その時です、私は信じ難いものを見ました。男は、なんと、旦那様に口付けをしたのです。深く唇を重ねて、まるで貴婦人を相手にしているかのように。
時が止まったようでした。しかし次の瞬間、旦那様は大きく仰け反り、大量の鮮血を噴出しました。眼孔、鼻孔、口から何から…全ての穴から、体内の物が捻り出されるようでした。旦那様は滅茶苦茶な方向へ手足をひん曲げながら、ゆっくりと倒れてゆかれました…。
男はそれを見つめながら、自分に飛んだ血飛沫を、ゆっくり舌なめずりしておりました。ふ、と私の方を向き、視線と視線が合いました。私は思わず、神に祈りました。私に信仰の習慣などないのに、助けてくれ、救ってくれ、心から懇願しました。
男は笑いました。血と泥で汚れたその凄惨な装いに似合わぬ、人懐こい、幼い笑みでした。それが返って、この男の狂気を如実に顕現しているようで、私は震えが止まりませんでした。
男は何にも言わず、くるりと背を向け去ってゆきました。私は変わらず祈り続けました。助けてくれ、救ってくれ、神様どうか、神様―――。あとは貴方がたが知っている通りです。貴方がた、憲兵が肩を叩いた時、私は廃人のようにブツブツと何かを唱えていたはずでしょう。あれは神への、陳情でした―――』
この男の証言と、事件の凄惨さ、怪奇さに人々は恐怖と一種の興奮を覚えた。
『貴族殺しのパルカ』――初めにその名がつけられたのはいつかは知れない。やがてそれは都市伝説のよう、広く人々の間に波及した。
事件の起きている街の、遥か遠く、水源機関と謳われたその施設、新たに就任した年若き所長の耳にも、勿論その話は届く。
どのようなことにも眉一つ動かさぬ、己の心の波にすら潔癖な男が、その時初めて、ペンを落とした。
府長の過去話その1。パルカの意味とか、何で貴族殺しやってるのかとか、マエストロとの幼少期の友情は、また次回。
■現在の府長
酔うと昔の癖でキス魔になる。
プーサンが府長×ジャミラ(ジャミラ×府長)なんていうから…(そこまでは言ってない)
母は売女であった。父は知らない。本人ですら憶えていないだろう。
物心ついた頃は既に渡り鳥のような生活であった。止まり木は男達のベッド。数日同じ家に居座ることもあれば、一夜だけの縁もあった。時には母だけでなく自分も相手をすることがあった。そういう趣味が、この世にはあるらしい。
ある日、母に馴染みの客が出来た。母は彼を気に入ったのか、連日男の元へ自分を連れて泊り込んだ。自分は屋根のあるところで眠れればどうでもよかった。だがある日、眠りこけた自分の耳元で、母の甘ったるい声が響いた。
「バイバイ、モモ。あんたのママやれて、楽しかったわ」
翌朝、母の姿はどこにもなかった。階下では母の馴染みの客が、素っ頓狂な悲鳴を上げていた。
「あのアバズレやりやがったな…どうすんだよこのガキ」
ボサボサの頭を掻きながら彼が手にする書置きは、何となくその内容が想像できた。
だらしない無精髭を指でいじりながら、渋く顔を歪める男は、やがて思案することが億劫になったのか、すとんと間抜けな表情に落ち着いた。
「…まぁいいか。おいガキ、お前取り合えず、朝飯作れっか?」
「…卵ある?」
幸運なことに、置いていかれた先の母親の客は、どうしようもない物臭な医者であった。
養父となったサザンはトウカトウカの片隅に暮らす街医者であった。
よく治療費を踏み倒されたり薬を騙し取られたりと、つまらない損をしていたが、彼は大抵を「…まぁいいか」の一言で片付けた。寛容というより、単純に面倒臭がりなのだ。
そのトウカトウカは、アビ国内最大の阿片窟を所有する。ある日、サザンの元に重篤な麻薬中毒者が運び込まれた。
「ったく、面倒くせえのがきちまったなぜ。おいモモ、コイツちょっと見ててくれや。薬取ってくらぁ」
こういう奴ぁ絶対治療費なんざ持ってねえのによ。悪態をつくサザンの指示に従い患者に付き添う。
死んだように四肢を投げ出していた男は、何か早口に寝言を呟き出したと思った瞬間、突然暴れだした。幻覚症状か。慌てて押さえつけようと近寄った刹那、男は隠し持っていたナイフを振りかざした。
あっと息を呑んだ、その間一髪。戻ってきたサザンに庇われた。自分を抱きこみ、ざっくりと裂けた養父の腕。
「痛えなバカヤロウ!」患者を薬瓶で殴り倒し昏倒させるサザン。
その深い裂傷と、溢れる鮮血に血の気が引く。ガクガクと震えだした自分に、サザンはとんでもない指示を出した。
「おいガキ、てめえがこの傷縫ってみろや。俺の仕事を間近で見てきたんだ、その位出来るだろ?やってみせろ」
出来るわけがない――思わず後ずさる自分に、しかしサザンの眼差しは有無を言わせない。無理だよそんなこと、そう呟こうとした喉が、思わず針はどこだと呟かされてしまうほどに。
後にドクターと呼ばれる男が、初めて人を治療したのが、この時だった。
人を治療することの偉大さを知ったモモは、この時から改めてサザンに医術を習い、助手として働くことになった。ぶっきらぼうであるが、サザンは腕の立つ名医であった。
やがて医術のいろはを飲み込んだ頃、ある日サザンは急に、メスを落とす。
「どうしたの?」
モモの問いにサザンは。
「腕が動かねえ」
白蝋病であった。
かつての傷が原因であったらしく、蝋化は腕から始まったのだ。ショックを受けるモモ。自分がしっかり消毒をしていなかったから?しかしサザンは言う。この病気は詳しいことが解明されてない。お前の治療がどうという話じゃない。そしてサザンは淡々と、白蝋病について語りだす。
耳を塞ぎたくなるような悲惨な病状に、思わずモモは絶叫する「どうしてそんな他人事のように!あんた怖くないのか!」サザンは静かに遮る。
「どんな病を前にしても平静でいる。それが医者だ」
そしてお前もそうであれ、そして感謝するんだな。未知の病の被験者が、すぐ目の前にいるんだ。そう養父は笑った。
それからは闘病の日々であった。モモは自分と養父の生活を支える為、そして養父の病気を治療するため奮闘するが、この街で少年一人に出来ることなど限られている。白蝋病は進行の遅い病気であるが、それに伴う苦痛は激しい。ある日、家に帰ったモモはサザンを呼ぶ。返事がない。嫌な予感に寝室へ走る。
ドアノブに吊られたシーツに首をぶら下げて、サザンは既に事切れていた。白蝋病の患者は苦痛に耐え切れず、自害することが多いと聞いていた。聞いていたが、まさかこんな。あんた言っただろ、医者は、どんな病を前にしても平静でいろって。
呆然と歩み寄るモモの足が、一枚の紙を踏む。乱雑に書かれた文字は、酷く読み辛かったが確かに養父の字であった。「俺の死体は、好きに使え」
今は殆ど使われていない手術台は、養父の遺体を置くと、薄く積まれた埃が一斉に舞った。短く手を合わせて、メスを手に取る。まだ暖かい肉は、思った以上に張りがあり、刃を滑らすと切断面から鮮血が溢れ出た。顔に飛び散る鮮血を、拭うことなく解剖を続ける。
筋肉、骨格、血管や神経の至る表皮、それらを全て観察しスケッチし、次は更に刃を深く入れ内臓を引っ張り出した。腹圧で位置が乱れないよう、慎重に指を差し入れる。
思った以上の重労働で、力のいる作業であった。滴る汗が目に入って痛むが、殆ど瞬きもせずに解体される養父の姿を、目に脳に焼き付けた。
一日、いや二日以上はかかっただろう。寝食も忘れて作業に没頭した。徐々に人の姿を忘れさせる、養父であった肉塊を前に、淡々と生命の構造を暴いてゆく。それはまるで何らかの儀式のようでもあり、だがそのような神聖さを許さない生々しさを伴っていた。
最後に心臓へ手を伸ばそうとした時、入り口から悲鳴が聞こえた。振り向けば馴染みの患者が、蒼白の表情で腰を抜かしていた。
薬を貰いにでも来たのだろうか。鍵はかけていた筈なのにとぼんやり見つめる。彼は泡でも吹きそうな顔で、慌てて逃げ出していった。人殺し、とも聞こえた気がする。改めてこの場の状況を見返せば、その通りだろう。薄暗い部屋にはバラバラに解体された街医者、血に塗れたその養い子。
ごめんね、墓は作ってやられそうにない。最後まで何一つ、孝行はしてやれなかったよ。
養父であった肉塊に一礼すると、医療用具、医術本、金目のもの手当たり次第に鞄に詰め込む。騒ぎを聞きつけて、警兵どもがやってくる前に、暗い夜の街へと飛び出した。雨が降っていた。アビの雨は有害だが、生憎マスクを手に取る時間はなかった。
走って、走って、脇目も振らず遠くまで走って、どれくらい走ったかは分からない。ふいに体中の力が抜けて、泥濘の中に倒れこんだ。血と雨と泥と、無茶苦茶に汚れながら、呆けて夜空を眺める。目に何度も雨が入って、沁みるのに、閉じれない。
目を見開いたまま、次第に笑い声が湧き上がった。指一本動かせないのに、横隔膜は痙攣して笑い声を捻り出す。腹腔が痛んで、黙っていたいのに、止まらない。
養父として、慕っていた。
医者として、尊敬していた。
一人の人間として、愛していた。
さようなら、忘れない、貴方に貰ったものは全て。
笑い声と雨音が交じり合って、次第にそれは泣き声に変わっていった。養父が死んで、初めて泣いた。悲しいのか悔しいのか寂しいのか、それが何であるのか分からない。母に置いて行かれた日にも感じなかった虚無感が、全身に重く覆い被さって、泥濘の底深くに引き摺り込まれてゆくような気がした。
それを人は孤独と呼ぶ。初めてその日、彼はひとりとなったのだ。
【4】
後ろ髪を引かれるよう、名残惜しげに最後の観客が別荘屋敷を後にしたのは、月が中天に燻る真夜中であった。
マルハバンの季節―この祭りの季節はそう呼ばれる―には残念な空模様であるが、自分にとってこのほの暗さは好機である。
見世物を見逃し、不貞腐れた表情の門番を柱の陰から望みながら、ハジは小さく口の中で呟いた。
「…『融けろ』」
門番がその囁きを聞き咎め、柱の陰に目を向ける。が、濃い闇溜りには誰もいない。
首を傾げる門番の、その背後の闇の揺らめきは刹那。
揺らぎは波紋のように隣の闇へ移り、柱から柱へと渡り、やがて門から遠く離れた別荘屋敷の中庭、作り物の蘇鉄の陰にその動きを止めた。
用心深く息を潜めながら、闇の中に少年の姿が浮き上がる。素早く周囲に視線を走らすと、手近の建物の陰へ俊敏に飛び込み、また闇へと姿を消した。
闇の魔法はハジが唯一使える魔術であった。亡き父が仲間の諜報員に学んだものを、幾つか自分に教え授けたのだ。
我ながら相性がいいと思う。闇を渡る程度の魔法は、戯れ程度に覚えてしまえた。今では盗みに必需となったこの芸を、亡き父が知ればどう思うだろう(などとは考えないようにしている)
それでも幾らかの制限はある。あまり離れた闇へは渡れない。勿論、自分一人でしか渡ることはできない。
それゆえあの見世物ショーの後、訝しげな仲間らを誤魔化し先に帰らせ、自分ひとりがこの別荘に忍び込む羽目となった。
最も盗みの為の偵察ではない。既に建物の構造は、大方把握できた。自分の目的は、そこから少しずれたところにある―――いや。
「場合によっては、そうなるのか」
何となしに口に出た呟きは、豪奢なラグの上に寝そべる太った飼い猫の耳にのみ入った。
【5】
膝に頬を乗せた途端、ひりつく痛みが走った。
この部屋に投げ込まれた際、擦り剥いてしまったのだろう。いつものことと気を取り直して、壁にもたれ目を瞑る。
古い蔵は酷く黴臭かった。きっともう長く使われていないのだろう。高く積まれた酒樽の中身すら空なのかもしれない――その通りに決まっている。
あの用心深い主人が、此処に閉じ込めた子供―自分だ―が毒を入れる可能性を疑わぬ筈が無い。
そんなことが、出来る筈がないというのに。目を微かに開けて、また瞑る。闇に包まれたこの部屋では、明り取りの小窓から入る霞んだ月光さえ眩しい。
ふと―――
「見っけ」
突如、闇の中から声が聞こえ、ぎょっと体を強張らせる。
周囲を見回すも、埃っぽい小部屋の中には自分以外誰もいない。積み上げられた木箱や樽の陰に目を凝らすが、人影らしきものはない。
どこか別の部屋の声が、風に乗って流れてきたのか――一人合点し、傾げた首を元に戻す。
そして目の前にある二つの目と、目がばっちりと合う。至近距離に浮かぶそれは、笑うように弧を描いた。
「すっげえ、本当に白いのな、お前」
あと少しで、声を上げるところであった。
少年が声を上げないことに、ハジは感心した。
それでも動揺は凄まじく、後ずさるも背後は壁と気付くと、少年は小さな犬歯を剥き出しにし、眼を吊り上げ低く息を吐いた。
まるで猫のような威嚇におかしくなりながらも、怯えさせないようハジは一旦闇に消え、やや離れた、積み上げられた樽の上に腰を下ろした。
手品の如く、消えたり現れたりを繰り返すハジに、驚嘆と警戒の色を露わにしながら、少年は一言も発しない。
「そんなに警戒するなよ。言っておくけど、俺はおばけじゃないぜ。そら、立派な足だろ」
「・・・・・・」
ハジは明るく話しかけながらも、微量な光に照らされた少年を、素早く観察した。
ステージで見かけた姿と何ら変わらないが、淡い月光に浮かぶ少年は先程よりも白く見えた。その肌も、髪も。目だけが黒々と光っていて、よく目立つ。
丈の合っていない着物を着せられている為か、華奢な両肩が露わになっている。裾から覗く両手足も、折れそうなほど細い。
それゆえ、彼の風貌はさながら少女のような印象を受けた。だが険しい眼差しは獣のようで、決して少女の持つ柔らかさはない。
その刺すような視線を受けながら、ハジは大仰な手振りで、矢継ぎ早に語り始めた。
「俺はハジってんだ。これでも盗賊団のお頭なんだ、凄ぇだろ?」
「・・・・・・」
「ま、メンバーはみんな俺と同じくらいか、年下ばっかだけどさ」
「・・・・・・」
「お前と同じくらいのもいるんだぜ。ペンダっつって、体は一丁前にでけえんだけど、泣き虫なんだ」
「・・・・・・」
「皆孤児だ。親父もお袋もいねえ。裂けるまでケツを革鞭で叩くような性悪爺をブチのめしてきたのが、新入りのオロンゴでさ――」
「ケチな泥棒が、俺になんの用だ」
発せられた声音に、ハジはたじろいだ。少年の怒気に対してではない。少年のその、幼い容姿に不相応な、しゃがれた声音に身を固くする。
先程の炎で喉を焼かれたのか。いや、その一度ではあるまい。幾度となく熱気に潰され皹入った声帯の、微かに残る幼い響きが酷く切ない。
水の一滴も与えられていないのか、と。ハジは密かに拳を固く握った。食い込む爪の鋭い痛みに反して、柔く口角を上げる。
「俺たちはさ、そんな感じでガキらが集まって出来た、ちっちぇえ盗賊団だ。でも、やってることは大人顔負けだぜ。欲しいものは何だって頂いてきた。
食料も服も靴も、壷も絵画も宝石も馬も牛も、金貨に銀貨、俺たちに盗めないものはなんにもないんだぜ」
「それがなんだ」
「だから俺、お前を盗んでやるよ」
―――ぽかんと
丸くなった少年の黒い瞳を一瞬白い影が泳いで、それは月光かそれを背にする自分の姿か、後者ならば愉快だと、ハジは小さく笑った。
「…無理に決まってる」
開いた口を慌てて結ぶ。心乱されたことを、恥じるように。
無理じゃねえさ、この屋敷は既に下調べが済んだし、こうしてお前がいる場所も分かった。後は仲間達と打ち合わせて、掻っ攫えばいいだけだ。
「お前は銅像のように動かないでいてくれればいいさ。もしくは子馬だな。人間は盗んだことないけど、似た様なものだろ」
ハジはそう、陽気な調子で語った。少年は黙って俯くと、彼の計画に頑として首を振った。
「駄目だ、俺一人だけじゃ、いけない」
少し弱弱しくなった少年の声音は、潰されて聞き取りづらくなった。身を乗り出して聞き返す。
「どういう意味だよ」
「母さんがいる」
「母さん?」
「そうだ。母さんを、置いてゆけない」
俯いて口を固く結ぶ少年の面持ちは、今まで対峙していた大人びた態度とは一転し、年相応の幼さと寄る辺なさが浮かんでいた。
(…てっきり、親に売られた奴隷かと思ってた…)
この国では珍しくない話だ。メンバーの中にも勿論、そういう境遇の子供はいる。
「でも、じゃあお前の母さんはどうしてるんだよ。お前一人見世物にして、それでも大丈夫なのかよ」
我知らず責めるような口調になっていた。少年はきっ、と顔を上げる。白い髪が乱れて、赤らんだ彼の目を隠す。
「病気なんだ!!!」
叫んで、少年は顔を顰めた。喉を痛めたらしい。声を落として、続ける。
「病気なんだ。この屋敷の主人が、母さんの面倒を見てくれてる。俺は、その代わりに此処で働いてるんだ」
見世物として。言外に語る少年の歪んだ表情は、喉の痛みから来るものだけではないだろう。
暫し沈黙が流れた。無為に過ぎ行く時間と比例して、胸の奥にフツフツと湧き上がるものを、ハジは感じた。
それを笑顔の裏に押し込めながら、ハジは、出来る限り明るい口調で、話題を切り替えた。
「――その、首の枷」
ハジの指差した先、自分の首からぶら下がる黒い帯を、少年は見下ろした。
「昔聞いたことがある。奴隷の枷には魔法がかかってるものがあって、
主人に逆らったり逃げ出したりすると、締め付けたり酷い目に合わせるヤツがあるって」
お前のも、そういうものなのか?ハジの問いに、少年は小さく頷いた。
「…首が落ちるって、アイツは言ってた」
感情の篭っていない声に、ハジは息を呑む。少年はその幼さの割に、どこか物事を達観している節があった。
それはどのような恥辱と絶望と諦念の末に生み出されたものか。考えれば酷く苦々しいものが口内を満たした。
好都合だ、とハジは奥歯を噛み締めた。少年を、いや少年とその母を盗むだけでは足りない。枷を解除するには、この屋敷の主人の承認がいる。
ならばどんな手を使っても、どんな目に合わせてでも、この屋敷の主人から彼らを解放させて見せる。
人の命を何とも思わない、否、自分達以外の命を人とも思わない、傲慢な豚野郎ども。待っていろ、目にもの見せてやる。
ハジは一瞬、虚空を鋭く睨み付けた。
一瞬鋭くなった彼の視線に、我知らず身を固くする。
それに気付いたのか、彼はふっと笑いかけた。
「なあ、お前、なんて名前なんだ?」
きょとんと、彼の質問を心の中で反芻する。
「名前だよ、なまえ。いいか、俺はハジってんだ…って、もう名乗ったじゃねえか」
ケラケラ明るく笑い出す少年の、その柔らかな声に誘われるよう、思わず口が動いた。
「…白」
「シロ?」
―見た目通りじゃねえか、思わずそう返しそうになって、ハジはすんでで言葉を飲み込んだ―
「そっか、いい名前だな、白。なあ白。俺を信じろよ。白も、白の母ちゃんも、俺が必ず助けてやるよ」
待ってろよ、三日後は、新月だ。俺の魔法が最も役に立つ。その時必ず、お前らを盗んでやるよ。
ハジの明るい、だが深みのある声が、すとんと、自分の胸に沈んでゆく。
それは長らく仕えていた重苦しいものを溶かして、思わず表情が緩んだ。
ハジが、自分の顔を見て驚いたよう目を見開いたので、はっと顔を背けた。
「…期待はしない…」
小さい呟きは、彼の耳に届いただろうか。いずれにせよハジは、再び笑顔に戻っていたと思う。自分はその表情を、見つめることが出来なかったが。
「またな白。三日後だ、忘れるなよ。その時まで、どうにか生き延びろ」
すうっと、視界の端でハジが闇に溶け、それに驚き振り返った時には、もうハジの姿はどこにもなかった。
―まるで夢のような、ぼんやりとした穏やかさが、静かな朧月夜に漂っていた。
あれは夢なのだろうか。もしも夢であったとしても、構いはしない。
長らく、自分には悪夢のような現実しかなかったのだから。
だが、もしも、これが夢でないならば。
目の裏に浮かぶ、彼の姿を思い出す。胸元に光るペンダント。炒った豆のような、香ばしい色したボサボサの髪。
優しく笑っていた、この街の海のような青色。
白は静かに目を閉じた。
部屋の中は、相も変わらず濃い闇に閉ざされていたが、彼を満たしていたのは、奇妙な安心感であった。
【続】
後ろ髪を引かれるよう、名残惜しげに最後の観客が別荘屋敷を後にしたのは、月が中天に燻る真夜中であった。
マルハバンの季節―この祭りの季節はそう呼ばれる―には残念な空模様であるが、自分にとってこのほの暗さは好機である。
見世物を見逃し、不貞腐れた表情の門番を柱の陰から望みながら、ハジは小さく口の中で呟いた。
「…『融けろ』」
門番がその囁きを聞き咎め、柱の陰に目を向ける。が、濃い闇溜りには誰もいない。
首を傾げる門番の、その背後の闇の揺らめきは刹那。
揺らぎは波紋のように隣の闇へ移り、柱から柱へと渡り、やがて門から遠く離れた別荘屋敷の中庭、作り物の蘇鉄の陰にその動きを止めた。
用心深く息を潜めながら、闇の中に少年の姿が浮き上がる。素早く周囲に視線を走らすと、手近の建物の陰へ俊敏に飛び込み、また闇へと姿を消した。
闇の魔法はハジが唯一使える魔術であった。亡き父が仲間の諜報員に学んだものを、幾つか自分に教え授けたのだ。
我ながら相性がいいと思う。闇を渡る程度の魔法は、戯れ程度に覚えてしまえた。今では盗みに必需となったこの芸を、亡き父が知ればどう思うだろう(などとは考えないようにしている)
それでも幾らかの制限はある。あまり離れた闇へは渡れない。勿論、自分一人でしか渡ることはできない。
それゆえあの見世物ショーの後、訝しげな仲間らを誤魔化し先に帰らせ、自分ひとりがこの別荘に忍び込む羽目となった。
最も盗みの為の偵察ではない。既に建物の構造は、大方把握できた。自分の目的は、そこから少しずれたところにある―――いや。
「場合によっては、そうなるのか」
何となしに口に出た呟きは、豪奢なラグの上に寝そべる太った飼い猫の耳にのみ入った。
【5】
膝に頬を乗せた途端、ひりつく痛みが走った。
この部屋に投げ込まれた際、擦り剥いてしまったのだろう。いつものことと気を取り直して、壁にもたれ目を瞑る。
古い蔵は酷く黴臭かった。きっともう長く使われていないのだろう。高く積まれた酒樽の中身すら空なのかもしれない――その通りに決まっている。
あの用心深い主人が、此処に閉じ込めた子供―自分だ―が毒を入れる可能性を疑わぬ筈が無い。
そんなことが、出来る筈がないというのに。目を微かに開けて、また瞑る。闇に包まれたこの部屋では、明り取りの小窓から入る霞んだ月光さえ眩しい。
ふと―――
「見っけ」
突如、闇の中から声が聞こえ、ぎょっと体を強張らせる。
周囲を見回すも、埃っぽい小部屋の中には自分以外誰もいない。積み上げられた木箱や樽の陰に目を凝らすが、人影らしきものはない。
どこか別の部屋の声が、風に乗って流れてきたのか――一人合点し、傾げた首を元に戻す。
そして目の前にある二つの目と、目がばっちりと合う。至近距離に浮かぶそれは、笑うように弧を描いた。
「すっげえ、本当に白いのな、お前」
あと少しで、声を上げるところであった。
少年が声を上げないことに、ハジは感心した。
それでも動揺は凄まじく、後ずさるも背後は壁と気付くと、少年は小さな犬歯を剥き出しにし、眼を吊り上げ低く息を吐いた。
まるで猫のような威嚇におかしくなりながらも、怯えさせないようハジは一旦闇に消え、やや離れた、積み上げられた樽の上に腰を下ろした。
手品の如く、消えたり現れたりを繰り返すハジに、驚嘆と警戒の色を露わにしながら、少年は一言も発しない。
「そんなに警戒するなよ。言っておくけど、俺はおばけじゃないぜ。そら、立派な足だろ」
「・・・・・・」
ハジは明るく話しかけながらも、微量な光に照らされた少年を、素早く観察した。
ステージで見かけた姿と何ら変わらないが、淡い月光に浮かぶ少年は先程よりも白く見えた。その肌も、髪も。目だけが黒々と光っていて、よく目立つ。
丈の合っていない着物を着せられている為か、華奢な両肩が露わになっている。裾から覗く両手足も、折れそうなほど細い。
それゆえ、彼の風貌はさながら少女のような印象を受けた。だが険しい眼差しは獣のようで、決して少女の持つ柔らかさはない。
その刺すような視線を受けながら、ハジは大仰な手振りで、矢継ぎ早に語り始めた。
「俺はハジってんだ。これでも盗賊団のお頭なんだ、凄ぇだろ?」
「・・・・・・」
「ま、メンバーはみんな俺と同じくらいか、年下ばっかだけどさ」
「・・・・・・」
「お前と同じくらいのもいるんだぜ。ペンダっつって、体は一丁前にでけえんだけど、泣き虫なんだ」
「・・・・・・」
「皆孤児だ。親父もお袋もいねえ。裂けるまでケツを革鞭で叩くような性悪爺をブチのめしてきたのが、新入りのオロンゴでさ――」
「ケチな泥棒が、俺になんの用だ」
発せられた声音に、ハジはたじろいだ。少年の怒気に対してではない。少年のその、幼い容姿に不相応な、しゃがれた声音に身を固くする。
先程の炎で喉を焼かれたのか。いや、その一度ではあるまい。幾度となく熱気に潰され皹入った声帯の、微かに残る幼い響きが酷く切ない。
水の一滴も与えられていないのか、と。ハジは密かに拳を固く握った。食い込む爪の鋭い痛みに反して、柔く口角を上げる。
「俺たちはさ、そんな感じでガキらが集まって出来た、ちっちぇえ盗賊団だ。でも、やってることは大人顔負けだぜ。欲しいものは何だって頂いてきた。
食料も服も靴も、壷も絵画も宝石も馬も牛も、金貨に銀貨、俺たちに盗めないものはなんにもないんだぜ」
「それがなんだ」
「だから俺、お前を盗んでやるよ」
―――ぽかんと
丸くなった少年の黒い瞳を一瞬白い影が泳いで、それは月光かそれを背にする自分の姿か、後者ならば愉快だと、ハジは小さく笑った。
「…無理に決まってる」
開いた口を慌てて結ぶ。心乱されたことを、恥じるように。
無理じゃねえさ、この屋敷は既に下調べが済んだし、こうしてお前がいる場所も分かった。後は仲間達と打ち合わせて、掻っ攫えばいいだけだ。
「お前は銅像のように動かないでいてくれればいいさ。もしくは子馬だな。人間は盗んだことないけど、似た様なものだろ」
ハジはそう、陽気な調子で語った。少年は黙って俯くと、彼の計画に頑として首を振った。
「駄目だ、俺一人だけじゃ、いけない」
少し弱弱しくなった少年の声音は、潰されて聞き取りづらくなった。身を乗り出して聞き返す。
「どういう意味だよ」
「母さんがいる」
「母さん?」
「そうだ。母さんを、置いてゆけない」
俯いて口を固く結ぶ少年の面持ちは、今まで対峙していた大人びた態度とは一転し、年相応の幼さと寄る辺なさが浮かんでいた。
(…てっきり、親に売られた奴隷かと思ってた…)
この国では珍しくない話だ。メンバーの中にも勿論、そういう境遇の子供はいる。
「でも、じゃあお前の母さんはどうしてるんだよ。お前一人見世物にして、それでも大丈夫なのかよ」
我知らず責めるような口調になっていた。少年はきっ、と顔を上げる。白い髪が乱れて、赤らんだ彼の目を隠す。
「病気なんだ!!!」
叫んで、少年は顔を顰めた。喉を痛めたらしい。声を落として、続ける。
「病気なんだ。この屋敷の主人が、母さんの面倒を見てくれてる。俺は、その代わりに此処で働いてるんだ」
見世物として。言外に語る少年の歪んだ表情は、喉の痛みから来るものだけではないだろう。
暫し沈黙が流れた。無為に過ぎ行く時間と比例して、胸の奥にフツフツと湧き上がるものを、ハジは感じた。
それを笑顔の裏に押し込めながら、ハジは、出来る限り明るい口調で、話題を切り替えた。
「――その、首の枷」
ハジの指差した先、自分の首からぶら下がる黒い帯を、少年は見下ろした。
「昔聞いたことがある。奴隷の枷には魔法がかかってるものがあって、
主人に逆らったり逃げ出したりすると、締め付けたり酷い目に合わせるヤツがあるって」
お前のも、そういうものなのか?ハジの問いに、少年は小さく頷いた。
「…首が落ちるって、アイツは言ってた」
感情の篭っていない声に、ハジは息を呑む。少年はその幼さの割に、どこか物事を達観している節があった。
それはどのような恥辱と絶望と諦念の末に生み出されたものか。考えれば酷く苦々しいものが口内を満たした。
好都合だ、とハジは奥歯を噛み締めた。少年を、いや少年とその母を盗むだけでは足りない。枷を解除するには、この屋敷の主人の承認がいる。
ならばどんな手を使っても、どんな目に合わせてでも、この屋敷の主人から彼らを解放させて見せる。
人の命を何とも思わない、否、自分達以外の命を人とも思わない、傲慢な豚野郎ども。待っていろ、目にもの見せてやる。
ハジは一瞬、虚空を鋭く睨み付けた。
一瞬鋭くなった彼の視線に、我知らず身を固くする。
それに気付いたのか、彼はふっと笑いかけた。
「なあ、お前、なんて名前なんだ?」
きょとんと、彼の質問を心の中で反芻する。
「名前だよ、なまえ。いいか、俺はハジってんだ…って、もう名乗ったじゃねえか」
ケラケラ明るく笑い出す少年の、その柔らかな声に誘われるよう、思わず口が動いた。
「…白」
「シロ?」
―見た目通りじゃねえか、思わずそう返しそうになって、ハジはすんでで言葉を飲み込んだ―
「そっか、いい名前だな、白。なあ白。俺を信じろよ。白も、白の母ちゃんも、俺が必ず助けてやるよ」
待ってろよ、三日後は、新月だ。俺の魔法が最も役に立つ。その時必ず、お前らを盗んでやるよ。
ハジの明るい、だが深みのある声が、すとんと、自分の胸に沈んでゆく。
それは長らく仕えていた重苦しいものを溶かして、思わず表情が緩んだ。
ハジが、自分の顔を見て驚いたよう目を見開いたので、はっと顔を背けた。
「…期待はしない…」
小さい呟きは、彼の耳に届いただろうか。いずれにせよハジは、再び笑顔に戻っていたと思う。自分はその表情を、見つめることが出来なかったが。
「またな白。三日後だ、忘れるなよ。その時まで、どうにか生き延びろ」
すうっと、視界の端でハジが闇に溶け、それに驚き振り返った時には、もうハジの姿はどこにもなかった。
―まるで夢のような、ぼんやりとした穏やかさが、静かな朧月夜に漂っていた。
あれは夢なのだろうか。もしも夢であったとしても、構いはしない。
長らく、自分には悪夢のような現実しかなかったのだから。
だが、もしも、これが夢でないならば。
目の裏に浮かぶ、彼の姿を思い出す。胸元に光るペンダント。炒った豆のような、香ばしい色したボサボサの髪。
優しく笑っていた、この街の海のような青色。
白は静かに目を閉じた。
部屋の中は、相も変わらず濃い闇に閉ざされていたが、彼を満たしていたのは、奇妙な安心感であった。
【続】
寝相の悪い兄貴に、決して離れることなく、くっついて眠った弟分。
取りあえずこれだけ!小説の続き書きたいけど眠い!また追記するかも
主人公側を最近あんま描けてないので、二人の出会いを文にした。漫画にはいつかしたい。でも長い。
【1】
頼り甲斐のある父だった。傭兵軍人であるがゆえ家に居ることは少なかったが、逞しい父の仕事姿を尊敬していた。
「俺がいない間は、お前が母さんを守ってやれ。約束だぞ」
大きな手が肩を抱く。母は病気がちで臥せっていることが多かった。だから父は、稼ぎの良い傭兵職から離れられなかったのだろう。良い薬はみな貴族らに渡ってしまって、貧民層がそれを手に入れるには大きな金が要る。
夏の盛り、その父が死んだ。貴族間のくだらない所領争いに駆り出され、沢山の爆弾に吹っ飛ばされて粉微塵になったという。遺体は戻らなかった。父の友人が、形見のドッグタグだけ渡してくれた。
母は深く嘆き、具合は日に日に悪化した。だが、父が死んだことを知った途端、医者は掌を返し薬を売らなくなった。
どれだけ頼み込んでも、拙い日仕事で稼いだ金を手に頭を下げても、門前払いされた。
か細くなる母の寝息に耐え切れず、初めて盗みを犯した。星の無い夜だった。
濃厚な闇に、早鐘のようになる心音を響かせながら、無我夢中で家まで走った。
母さん、薬だぜ、もう大丈夫だ!息を切らし叫んだ声に、しかし返る言葉はない。
母は既に冷たくなっていた。母の、ぽっかりと開いた口のその深い闇を、俺は生涯忘れることはないだろう。
港町ジュムには孤児が多い。俺がその中の一人になったところで、誰が気に留めただろう。
自分ですら何を思うことも無かった。思う暇も無かった。それからは毎日が盗みと逃亡の日々であった。
気付けば孤児同士、小さな徒党が出来ていた。ままごとのような盗賊団。俺はそのリーダー格となっていた。
父から教えてもらった武術のいろは、そして微かながらも魔法の類が使えたのが、学の無い孤児達には頼もしく思えたのだろうか。
【2】
ジュムは海に面している。厚い汚油に覆われた海は重く波打たない。
だがそれが一年に一度、嘘のように晴れる季節がある。
信じられないほど透明度を増した、コバルトブルーの海は美しく、どこからか魚までもが訪れる。アビで唯一の祭りの季節だ。
その絶世の景観ゆえに、ジュムは貴族らの保養地にもなっていた。今年もその季節が近付き、俄かに別荘区に活気が宿る。
それは同時に、彼らにとっては絶好の商売の季節でもあった。
「ハジ、今年はどの豚野郎から、お宝を盗んでやろうか」
肩を寄せ合いひそひそと囁きあう孤児らの顔は、松明の灯に深い影を刻まれながらも、やはり年相応に幼い。
「あの一際でかい、趣味の悪い別荘があるだろう。ああいうセンスの悪い野郎はお得意様だぜ。自分に良く似せて作った、金の豚の像がある筈だ」
少年達の笑い声が夜陰に響く。ハジがシッと腕を上げると、リーダーに従順な盗賊団の孤児らはピタリと口を噤む。
「昼間アデトの屋台で爺さん達が話してた。丁度今夜、豚野郎は見世物を公開するらしい。それも一般市民にまでお披露目するんだとさ
いいチャンスだぜ。警備が手薄な今、偵察がてら忍び込むことにしよう」
【3】
貴族の別荘は大層豪奢な装いであった。
金の豚は残念ながら見当たらないが、白磁の壷に銀の鎧。柱に刻まれた彫刻には色とりどりの宝石が埋め込んである。
アビでは稀少な花の匂いに噎せ返りながら、少年一同はそっと館の中央まで忍び込んだ。
そこは既に多くの人で賑わっており、中央にあるステージを囲むように一般市民が、
それを見下ろす形で、ぐるりと円状に底上げされたテラス階に、絢爛に着飾った貴族たちが、談笑しながら羽根扇子を召使いに仰がせている。
「気にくわねえなあ、俺たち、奴らのケツの下にいるんだぜ」
「さっき見つけた青銅の槍、やっぱり盗ってくればよかったんだよ。豚どもを突付いてやったら、面白かっただろうなあ」
「だけど奴らの的に当てるのは難しいぜ…なんてったって『ケツの穴の小せえ』奴らだからな」
少年盗賊達の潜めた笑い声を掻き消すかのよう、ステージから大音量の声が上がった。
「お待たせいたしました―――これより!皆々様にご披露致しますは!古今東西比肩するものなし、摩訶不思議ないきものに御座います!」
芝居調の司会者の、整然とした歯並びに松明の火が映り、赤々と揺らめく様は不気味に演出がかっていた。
「変な生き物だってさ、何だろう」
「くだらねえ。どうせ捕らえてきた獣人だろ」
「お貴族様はあいつらを見世物にするのが好きだって、死んだ婆ちゃんが言ってた。あいつらの方が豚によく似てらぁに」
侮蔑の眼差しを向ける少年達の目に飛び込んできたのは、しかし予想する姿とは異なっていた。確かに人型であるが、完全に人型である――そう――
「なんだ、人間の、ガキじゃねえか」
どこからともなく、見物人の野次がステージに投げられた。二人の黒い装束の大男に連れられてきたのは、僅か五、六歳ほどの少年であった。
簡素な衣装を纏い、顔は俯いている所為で良く見えない。首に巻かれた帯状の枷で、彼が奴隷身分であることが伺えた。
「あんな小さい子、どうしようってんだ」
「ペンダと同じくらいだぜ。まだ鼻水垂らして眠ってるような」
少年達の声は侮蔑から、険しい声音に変わってきている。まるで不穏な気配を感じているように。
それと対照的に、見物人のざわめきは好奇と疑念と期待に満ちていた。
「これなる少年は、一見普通の人の子に見えます、が、驚くなかれこの者はなんと―――『不死鳥』の末裔なのです!」
思わず噴出した盗賊少年らを、ハジが咎める、が、彼とて呆れた表情であった。そんな伝説上の生物が、どうしてこの場でお目にかかれよう。
それは観客らも同じであったようだ。市民らからは笑い声が、貴族のテラスからは溜息が漏れる。
その様子を見咎めるよう、大仰に司会者は声を張り上げる。
「皆々様、ご信じあそばさぬは至極道理に御座います…なれば百聞は一見にしかず!残り九十九を語るも惜しい、早速、その奇跡を御覧頂きましょう!」
ステージの少年を、向かって右側の大男が、首の枷を引っ張りステージ中央に突き出す。
よろけてたたらを踏む小さな足。乱れた髪のその純白さに、ハジは密かに目を引かれた。
左側の大男が、脇に置かれていた壷を、少年に向かって振りかぶった。壷の中の液体が、少年の頭から足までぶちまけられる。
鈍色の液体は、遠目からでは何であるか把握できなかった。が、風に乗って流れてきた、鼻腔を突く独特の不快臭に、仲間の一人が小さく悲鳴を上げた。
「…油だ!」
二人の大男は、ずぶ濡れの少年を挟んで対峙した。手に持った松明に、同時に引火する。見物人が息を呑む。まさか。
「まさか!」
ハジの叫びより一瞬早く、大男は同時に少年に松明を投げつけた。
弧を描いて落ちる小さな炎は、油に塗れた少年に当たった瞬間、火柱となって燃え上がった。
貴族の甲高い叫び、見物人の大きなざわめき、騒然とする観客達とは対照に、盗賊少年らは声も上げられない。
ただ黙って炎の塊を見つめる他ない一同には、一瞬にも永遠にも感じられた時間。
しかし、炎が突然勢いを増し、高らかに燃え上がったのを見て、観客から再び大きな悲鳴が上がる。
炎は勢いよく渦巻き、唸りを上げ、やがて空へ突き上げるよう高さを増すと、ふっと、嘘のように消え失せた。
その熱の名残が失せる頃、炎の柱の後にはただ一人、先程の少年が変わらぬ姿で立ち尽くしていた。
熱気に喉を焼かれたか、激しく咳き込んではいるが、炎上の形跡は見られない。
髪も、肌も、衣装ですら、一切焼けてはおらず、その光景にあっけに取られた観客らの気を取り戻させるよう、司会者は明るく声を張り上げる。
「如何でしょうか…これぞ不死鳥!炎に呑まれども灰の中より蘇る、正しく不死鳥の秘儀!皆様この類稀なる不可思議に、盛大なる拍手を!!!」
唖然としていた民衆は、ふと我に返ると、今度は大きな歓声を上げ、惜しみない拍手を捧げた。
ステージ上では司会者が、このような不可思議を所有する主人にあてた賞賛を、声高らかに歌っている。
「酷ぇ…」
誰とも無く呟いた盗賊少年の声は、見物人らの歓声に紛れたちまち掻き消える。
「何が不死鳥だ、あれは魔術じゃねえか」
歯軋りするような言葉に、少年盗賊らは声の主へと振り返る。
まるで苦虫を潰したようなハジの渋面に、彼らはおどおどと聞き返す。
「魔術…?」
「ハジが使うような…?」
「そうだ。あれは精霊魔法の類だ。俺が闇を扱うように。あいつはきっと、炎を使うんだ」
火が燃え移る瞬間、どことなく魔法の気配がした。そう付け足しながらも、目だけはステージから離さない。
ステージの少年は、肩を上下させながらも漸く呼吸が整ったようであった。滴る汗が、松明の照明にチカチカと煌く。
一瞬、少年は顔を上げた。乱れた白い髪から覗く濡れた目が、ハジの視線とかち合う。
少年にしては大きい、まるで黒真珠のような(ハジは黒真珠など見たことがなかったが、確かにこの時そう思った)漆黒の瞳。
それは刹那、この場にある全ての色彩を乱反射させ、まるで宝玉のように瞬いた。
ハジが息を呑んだ刹那、大男らはのそりと動き出し、ステージの少年を両脇から掴むと、乱暴に奥へと連れて行った。
観客の騒々しい歓声と、少年の静かな瞳。対峙し相反し拮抗し合う二つの存在の、その境界に立ち尽くしながら
成す術も無く、ハジはただ、唇を噛み締めた。
(続く)